あの有名人たちも眠る地「池上本門寺」に行ってみた!

あの有名人たちも眠る地「池上本門寺」に行ってみた!

池上本門寺

 

江戸の古刹「池上本門寺」。

 

加藤清正や徳川家の保護を受けながら、700年以上、東京都大田区池上の地にあり、人々から愛されてきたお寺です。

 

池上本門寺の仁王像や五重塔、大堂の迫力も見どころの1つ。

 

また、昭和の大スター力道山のお墓があることでも有名で、今もお墓参りに訪れるファンの方の姿が絶えません。

 

そんな東京の古き良きお寺「池上本門寺」について、どのようなお寺なのかだけでなく、実際に訪れた印象も踏まえて、ご紹介していきましょう。

 

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池上本門寺はどんなお寺?

 

池上本門寺は、東京都大田区池上にある日蓮宗のお寺です。

 

1282年、日蓮宗の開祖日蓮聖人が入滅した地に、池上本門寺は建立されました。

池上本門寺の正式名称は、「長栄山本門寺」といい、「法華経の道場として長く栄えるように」という思いをもとに、日蓮聖人が名付けたとされています。

 

また、長栄山本門寺が「池上本門寺」と呼ばれるようになったのは、当時、この地を治めていた郷主である池上宗仲の館があった場所で、日蓮聖人が入滅したことに由来します。

 

700年以上もの間、日蓮宗の霊場として、地元では守られ、大切にされてきた本門寺。

特に、江戸時代に入ると、徳川家や加藤清正によって池上本門寺は保護され、隆盛を極めていきます。

幕府や有力な大名に保護されただけでなく、江戸時代後期に江戸の民衆の中で流行った祖師信仰や法華信仰により、江戸のお参りスポットとして、池上本門寺は大変人気がありました。

その人気は、歌川広重などの浮世絵の題材として描かれたことだけでなく、池上本門寺で今日まで続く日蓮聖人のご命日の法要である「御会式」に、多くの江戸の庶民が訪れていたことからもわかります。

 

また、池上本門寺の境内にある松濤園では、いわゆる「江戸城無血開城」の相談が勝海舟と西郷隆盛との間であったともいわれています。

 

中世では、日蓮宗の霊場として、近世では、江戸の文化や歴史の舞台として、池上本門寺は歴史の中に登場してきました。

今日でも先ほどご紹介した御会式には、毎年30万人にも及ぶ人が参拝に訪れますし、夏に行われる盆踊り大会は、小さなお子様も多く参加して、とても賑わっています。

 

 

都内の寺院として、長い歴史と人気がある池上本門寺に、実際行ってきた様子もご紹介していきましょう。

 

実際に池上本門寺に行ってみた!

 

東急池上線池上駅は、2020年7月19日に新駅舎の運用が始まりました。

その後、池上駅に駅ビルも開業し、新たなスタートをきったというニュースを覚えている方も少なくないのではないでしょうか。 

 

この池上駅を背に、本門寺旧参道を歩いていくと、数軒の飲食店と、名物の「久寿(「くず」と読む)餅」のお店が2軒ほど見えます。

そして、旧参道を抜けると、新参道と合流し、そのまま道なりに進んで行くことに。

 

 

呑川にかかる橋を渡った先に、本門寺の総門が見えてきます。

 

池上本門寺
池上本門寺

 

池上本門寺の総門は、2018年に保存修理が行われ、建立当時の黒門として復元されたとのことです。

総門越しに境内の石段が見えるのも、とても厳かな雰囲気があり、石段の上にはどのような境内の景色が待っているのだろうかと、想像をかき立てられます。

 

 

池上本門寺の石段は、加藤清正によって築造寄進されたことでも有名です。

日蓮宗への信仰がとても深かった加藤清正は、石段だけでなく、境内の整備にも尽力したとのこと。

96段の石段を使ってトレーニングをしているランナーもいるとのことで、ちらほらとランナーの方の姿が境内にもありました。

 

普段運動不足の私にはなかなかのトレーニングになった石段を登った先に広がっていたのは、池上本門寺の美しくて白い砂利が敷き詰められた境内と、そこにそびえる仁王門(三門)と大堂。

 

 

特に、仁王門と大堂は、私の想像以上の大きさで、圧倒されました。

旧仁王門は、第二次世界大戦で焼けてしまいましたが、徳川二代将軍秀忠によって建立され、旧国宝として指定されていたとのこと。

当時の門も見てみたかったなと思いましたが、新造された今の仁王門も荘厳で迫力があり、凛とした佇まいも趣があります。

 

 

仁王門の中には、仁王尊も鎮座しており、新造された当時の仁王像は、アントニオ猪木さんをモデルに制作したとのことです。

アントニオ猪木さんをモデルに新造された仁王像の方は、大堂の奥に建造されている本堂の方に、今は祀られています。

今、仁王門の中にある仁王尊像は、仏師の原田佳美さんが作られたものとのことで、どちらの仁王尊像も迫力と威厳があるだけでなく、親しみ深い優しい雰囲気もあり、地域で愛されているのだろうなと思いました。

仁王門をくぐり、境内を進んでいきます。

 

 

砂利を踏み締める音が好きな私は、少しだけ砂利道も通りながら、大堂に向かうにつれ、その大きさに圧倒されていきました。

 

 

旧大堂も戦火で焼けてしまいましたが、全国の檀信徒や日蓮宗寺院からの浄財寄進を受けて、1964年に今の大堂が再建され、今日まで池上本門寺の地にあります。

最初の大堂は、加藤清正によって建立されたとのこと。

最初の大堂の大きさは、「池上の大堂、上野は中堂、芝は小堂」と上野の寛永寺や芝の増上寺と比較され、江戸の人々にとてもよく知られていました。

ですが、加藤清正によって建立された最初の大堂も、1710年に焼失してしまいます。

その後、徳川8代目将軍吉宗からの用材寄進を受けて、小規模ながら再建されたとのことです。

 

大堂の中に入っていくと、お線香の香りが漂ってきて、「お寺に来ているんだな」という気分が高まっていったのを今でも覚えています。

大堂の天井には、大田区に由来のある画家の川端龍子が描いた未完の龍図があります。

この龍図は、完成前に川端龍子が亡くなってしまったため、未完のままになっているとのことです。

ですが、未完であるが故に、その荒々しい筆致が明確に表現されており、一層、龍の力強さが窺えるように思いました。

お賽銭を投じ、「健康」・「仕事運向上」を祈願。

本堂内の荘厳さに見惚れていた時間は、時の流れがゆっくりと進んでいるような錯覚を感じるほどで、歴史の大きな流れを肌で感じられた体験でした。

 

大堂を後にし、来た道を戻ると、左手の方向に、五重塔が見えたので、近くに行ってみます。

 

 

池上本門寺の五重塔は、徳川2代目将軍秀忠によって建立。

関東に現存している五重塔の中では、最古のものになります。

 

近づいてみて気づいたのですが、とても高さがある五重塔で、存在感に圧倒されました。

五重塔の足元から、塔を仰ぎみると、400年以上残ってきたすごみと、歴史の重み、建造物としての美しさに魅了されていきます。

桜の時期には、五重塔と桜とのコントラストが美しく、お花見や写真を撮りに来る人々で、池上本門寺の境内が賑わうとのこと。

 

なお、池上本門寺の五重塔は、国の重要文化財に指定されています。

 

五重塔を堪能したのち、池上本門寺を後にすることに。

 

来る時には気づかなかったのですが、境内にはあじさいもところどころ美しく咲いており、「桜だけでなく、あじさいの季節の本門寺もとても趣があっていいな」と私は感じました。

 

また、境内の中には、思っていた以上にお墓もあり、中には、紀伊徳川家や米沢藩上杉家といった大名や昭和の大スター力道山、映画監督の溝口健二、作家の幸田露伴、実業家の児玉誉士夫、歌舞伎役者の松本幸四郎・片岡仁左衛門といった有名な方々も池上本門寺の地で眠っているとのことです。

 

池上本門寺の総門を出て、新参道を歩いていくと、本門寺のもう1つの名物「ごまおはぎ」ののぼりも見えてきました。

池上本門寺参拝の思い出話だけでなく、お土産も買って帰宅するとしますか!

 

池上本門寺のまとめ

 

東京の古刹、池上本門寺について、ご紹介していきました。

 

総門や大堂、五重塔はとても迫力があり、見応えのある観光スポットです。

 

様々な想い抱いた武将たちから保護されてきただけでなく、江戸の人々に愛され守られてきた池上本門寺。

 

最近では、おしゃれなカフェなども周りに増えてきて、昔からある銘菓と今とが融合し、とても良い雰囲気の街になっています。

その良い雰囲気を作り出しているのは、なんといっても池上本門寺の歴史と文化の多様な重なりだと言えるでしょう。

 

今度の休日に、池上本門寺と久寿餅、ごまおはぎを堪能して、心と体をリフレッシュするのも素敵な1日になるのではないでしょうか。

 

池上本門寺の拝観料や時間・アクセス

 

日蓮宗大本山「長栄山 池上本門寺」

〒146-8576

東京都大田区池上1-1-1

 

拝観料:無料

(ただし、霊宝殿は日曜日のみ10:00から16:00、開館大人300円、子ども200円)

 

東急池上線「池上駅」下車徒歩15分

都営浅草線「西馬込駅」南口より徒歩20分

JR京浜東北線「大森駅」から東急バス「池上駅行き」で25分、停留所「本門寺前」下車徒歩8分

 

googleマップより引用

 


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